読書感想 第76冊
小林一三
時代の十歩先が見えた男
北康利
PHP研究所
小林一三??
1873-1957
阪急電鉄・宝塚少女歌劇団の創業者です。
他に、東宝、コマ・スタジアム、阪急百貨店も作りました。
田園都市構想をかかげ東急電鉄にも関わりました。
慶應義塾出身です。
ちなみに、
一三の次男・辰郎の孫が、テニスプレイヤーの松岡修造です。
北康利??
東京大学、富士銀行、
のち作家になります。
白洲次郎、吉田茂、安田善次郎などの著書があります。
宝塚歌劇団と田園都市
一三は頭は良いのですが、
時間や女性にだらしないところがあります。
文学青年で慶應時代に書いた小説で警察の取り調べを受けています。
このセンスが宝塚歌劇団の創設につながります。
イギリスのエベネザー・ハワードの
『明日の田園都市』からの影響で、
阪急では池田や箕面の開発を行った。
その手法は、鉄道を未開発の郊外に走らせ、
その土地を買収し、宅地やレジャー施設を開発、販売するものです。
東急では洗足や多摩の開発がされます。
こちらも小林十三が関わっています。
五十歩先の見えるものは多くは犠牲者となる
「百歩先の見えるものは狂人扱いされ
五十歩先の見えるものは多くは犠牲者となる
十歩先が見えるものが成功者で
現在を見得ぬものは、落伍者である」
K七は頭が良いわけではないですが、
会社では五十歩から百歩先が見えるようです。
出る杭は打たれますが、
打たれたらもっと伸びて突き抜けてやる所存です。
一人前になるには、浪人、闘病、投獄を経験すること
同じ慶應出身で「電力の鬼」と言われた
松永安左エ門の言葉として
「一人前になるには3つの節を通らねばならん。
浪人、闘病、投獄の三つだ」
という下りがあります。
今の時代では難しい事ですが、
全く同じ話を田坂広志の本でも書いてありました。
改めて紹介したいと思います。
K七のまとめ
東急線に接する機会が多いK七です。
田園都市線は五島慶太の東急が作ったものですが、
そのバックには小林一三がいるわけです。
田園都市線のセレブは、
気取って「デント」と言うらしいですが、
所詮、田園の電車なんで、
田舎電車ですよねぇ…
渋谷だって渋谷村です。
江戸時代は大山街道の宿場町なので、
渋谷は江戸ではないです。
「鬼平犯科帳」を観ると渋谷村がよく登場します。
人間味のあるところ、
バイタリティあふれるところ、
小林一三から学ぶところは多いです。
ぜひ読んでみてください。
このブログは「はてなブログ」で運営しています。
はてなブログの方は、読者登録お願いします(^-^)
ここまでご覧いただきありがとうございます。
はてなブックマークをぽちぽちしてもらえると嬉しいです!